• # ⛵️ 独り言

産声をあげてからツナマップが生まれるまで

tuna maps(ツナマップ)の代表のツナです🐟
今回は、生い立ちからツナマップができるまでの紹介をさせていただきます。

産声をあげてからしばらくのツナ🐟

産声をあげてからしばらくのツナ

1986年無口なイケオジの父、パワフルな母とふたりの兄たちの末っ子長女として北海道にて生誕。
男家系の我が家に女の子が生まれるなんて、奇跡に近い話🤱

祖父母とっても、初めての女の子の孫!それは、それは可愛がられてすくすくと育ちました。ただ、幼少期から野生的で、男勝りで、しかも個性も強い女の子となっていきました。
どこでどうなって😅なんて言われることもあるけど、わたしという生き様というか形成みたいな感じになっています。

中学校卒業後は、高校には進学せず『犬が大好き🐶』ということでトリマーの道を目指し専門学校に進学。アルバイトに学校に大好きなライブに行ったりと毎日を満喫しながら、とてもフリーダムな10代を過ごしました。

産声をあげてからしばらくのツナ2

デザイナーになるきっかけ

デザイナーになる人は、幼少期から絵を描くことが好き!とか、得意だったという理由が多いのかもしれないけど、

でも、わたしの場合は、、、個性が強すぎるため、一般企業で勤めることは不向きだと思った。

だから、自分の個性が活きるであろう仕事をしようと考えたのが、幼少期から影響を受けている日本のエンターテイメント。とくに大きな存在となっているのが、ジャパニーズミュージック⚡️🎸音楽業界に影響を受けたモノとして、それらを伝えていける業界に目を向けた。それで、なんでデザインなのか?というと、主に雑誌を通して伝えていきたいと思ったから。

そこを目指すため、アルバイト生計を立てながらデザインスクールに入校。webデザインの勉強していく中で、コーディングやフロントエンドの面白さに気づいた。週5は朝から晩までバイト、休みの2日を学生生活に時間を割いた。続けいていく大変さもあったけど、学ぶことってこんなにも楽しいのか!!😳と生まれてはじめて感じることもあり、本当に充実した数年間でした。

就職活動が間近になっていた頃、webデザイン学科の先生から「コーディングのアルバイトでもしてみない?」と声をかけてもらいました。当時アルバイトのダブルワーク生活で、できるかな😅という不安もあったけど「やります!」と即決し、約1年間はトリプルワークを続けた。

でもそれが大きなきっかけとなり、webデザイン業界に行くことを決意した🔥

個性が強すぎる私が一般企業のデザイナーとして就職

就職活動中はwebデザイン業界を目指したが、いろいろな出来事があり一時的とはいえまずは地元で就職することを選びました。選択範囲が限られる田舎のハローワークで、奇跡的に一社だけデザイナー求人があり、それが私の本格的なデザイナー人生がはじまった🥳

(しかし、ここから非常にながーい数年間もがき苦しむこと、、、)

デザイナーとして採用されるも、就職した先は田舎の一般企業。会社に溶け込む!みんな一緒!が当たり前とされる社風に馴染めず、終いにはデザインの仕事が思うようにできず「こんなはずじゃなかった😭」と毎日モヤモヤしていました。辛いと感じる環境ではあったけど、経験を積むことができたから「ま、いいだろう!」と今はそう感じています。

しかし、本音をいえば社風を重んじるような企業に、わたしには合わなかった!!!

チームとして働くおもしろさ

ちゃっかりと転職はしましたが、トータルで約6年ほど地元を拠点にデザイナーとして働いていた頃、自分のやりたい道を突き進めるような環境となり「よしデザイナーとして本格的にスキルアップを目指して転職しよう🔥」と決意し、転職した先が札幌市の制作会社。

これまでのデザイン業務の経験はあったけど「まずは、制作会社のフローに慣れてもらうため、アシスタントとして採用ね」と転職し、当初はディレクターアシスタントとして奮闘していました。慣れないことは多少なりともあったけど、そんな日々に「自分が求めていた環境にたどり着けた😮‍💨」と、心の底から安心したことを今でも鮮明に覚えています。

さらに、自分という人間と個性を色メガネで見られることもない環境に心地よさも感じた。制作会社らしい多忙さはあったけども、これが私が探し続けていた環境だ!と生きることもラクになったり、アシスタントからディレクターに昇格したり、時にはデザインを任されたりと毎日が充実していました。

チーム体制としての毎日制作に取り組みながら、みんなで声を掛け合ったり励ましあったり、意見を出し合ったりなど、みんながみんなを必要として仕事に取り組むことや、人にも恵まれチームでものづくりに邁進することが、とてもとても楽しかった!

多忙で寝不足で疲れきった日々が続いても、みんなで手を取り合い支え合っているような感覚を全員が感じていた。全ての制作会社がそうとは言えないけど、確実に自分がいた環境はすごく温かく何よりも、面白かった。

フリーランスとして独立・開業

制作会社での仕事にも慣れたある日、前触れもなく職場環境が変わってしまうタイミングが訪れることに、、内心は、せっかく見つけることができた環境が、変わってしまうなんて😭と一緒に働いていたみんなも同じ感情を抱いていました。

「自分はどうしたらいいだろう」と悩み続けること数週間、、、独立を決意!

この答えを出せた決定打こそ、制作会社に勤められたこと。個性が強い自分を受け入れてくれた環境や人がいるってことがわかり、そんな会社が増えてもいいんじゃないか!って

すごく強引な考え方かもしれないけど、社風とワードに悩み続けた自分だから、こんな偏屈な結論が出せたのかもしれません。

退職をするタイミングで、「pear design(ペアデザイン)」という屋号を掲げ独立開業をすることになりました。

フリーランスとしての第一歩

独立=フリーランスになってからの2年くらいは、初めてのことがいっぱい。それを見込んでの独立、「すべてのことに全力投球、カラ振りがあって立ち上がれ😤」と言い聞かせ、自分で自分を奮い立たせることがルーティンになっていた。

苦戦も苦労もあったけど「全てが経験」という言葉を身を削って実感するできごともあったし、自分から行動する学ぶといった”チャレンジ”が常にわたし自身の横に存在して、そのことでいいご縁にも恵まれ独立したことの大変さと嬉しさを、日々感じています。

今思えば、がむしゃらな自分であったことには間違いない!

tuna maps(ツナマップ)としてのスタート

独立開業して4年が過ぎたタイミングで、わたし自身のプライベートから生き方、ビジネスといった全てを見直すきっかけが訪れました。
きっかけは重く堅苦しいことではなく、ふわっと頭の中に浮かんできた感じ。特別に考えたわけではないけど振り返ると天からのお告げ、、、かもしれない🕊️

いい意味で捉えると、自分の破天荒さというべきかは迷いますが、個性的でおもしろいことが好きな自分がわたし自身に顔を出したようです。それが機会となりもっと自由でユーモアな自分を表現し、おもしろい自分でいよう😜と、個性がひと皮剥けてしまい仕事の軸をリニューアルすることにしました。

屋号を変えようと思ったのも勢いだし、屋号の決定も勢い。きっと多くの人が真剣に考えることを、勢いでやってしまう自分の破天荒さにはあっぱれです。

人から得られた影響

過去は会社員、今はフリーランスの破天荒なわたしですが、自分の軸であったりターニングポイントとなることには真剣に捉えています。すべてを話尽くすには、非常に長い語らいになるので割愛しながらも、少しお話をしていくと、、、

「田舎で生きているからこその弱みと強み」
「恩返しをしていく人生」
「愛を伝える、まっすぐなわたし」

この3つが大きなキーワードになっていますが、これはすべて人から得られた影響

田舎で生まれ育ち、働き場として選んでみたものの結局はずっと馴染めずいる自分。でも、そんなわたしでも都会にはない魅力が無限大にあると知っていること。
田舎にある独特な風潮みたいなものは今でも嫌い、だけど良いものは良いよ!と伝え合ったり、知ってもらうために、わたしは全力であること💪

たくさんの人との出会いによってたくさんの愛を受け取ったからこそ、ひとり一人を大切にしたい🫶と抱く愛情と、しっかりと恩返しという形で伝えていくこと。

人やモノ、形には見えないモノも含めて愛を真面目にまっすぐに伝える、わたしでいること。

ちょっとドロくさいと言われるかもしれないけど、こんなわたしがわたしらしいと思っています。

そんな素晴らしい出会いと、気づきにカンパイ🥂✨

KEY WORD 🍙

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マグロを釣るライター「ツナ」のプロフィール
マグロを釣るライター「ツナ」のプロフィール
マグロを釣るライター「ツナ」のプロフィール
マグロを釣るライター「ツナ」のプロフィール

ツナ Designer / Director / Planner / Writer / Front-end

北海道の生まれ育ちで北海道在住。マグロ釣りが趣味だから「ツナ」と呼ばれています!ぜひ「マグロ釣りのツナ」覚えてください🐟普段はデザインやライターなどのお仕事をしていますが、見た目とのギャップがありすぎるフットワークが超軽いアウトドア派人間⛰️
趣味は釣りと神社仏閣巡り、好きなモノはカレーとわんこ🍛🐶🧡

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